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評価:
ヴィクトル ユゴー
潮出版社
¥ 2,100
(2009-07-25)
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映画の「レ・ミゼラブル」が観たい。
でも、観る前に 小説を おさらいしとかなきゃ。
昔々、「まるごと一冊なんとかシリーズ」で出てたのを読んで、
ボロボロ泣いた覚えが
その本は実家の納屋にあり、手元には無い。
amazonでポチっと、岩波文庫のを買ったら。。。
読みにくいぃぃぃ。
昔 読んだのは、誰の訳だったっけ?と探してみたら 辻 昶さん
(↑上のリンクね)
おぉ。読みやすい!
んでもって、やっぱボロボロ泣ける(齢を取って、涙もろくなったのぅ)
どの場面もハラハラドキドキワクワクなんですが、
現時点のチョウには、革命を起こそうとしているグループのリーダー
アンジョルラスのセリフ。ここが素晴らしい!
(申し訳ないけど、勝手に引用させてもらいます)
> 政治的にみれば、ただひとつの原則があるだけだ。つまり、人間が
> 自分自身に対して主権をもつことだ。自分の自分に対するこの主権を
> 『自由』という。こうした主権が二つ、あるいは、いくつか結合すると、
> 『国家』がはじまる。だが、こうした結合には、主権の放棄などすこし
> もない。それぞれの主権は、万人共通の権利をつくりだすために、
> 自分の権利のなかのあるていどの量を譲りわたす。その量はだれに
> とってもみなおなじだ。
> 各人が万人のために譲りわたすこのひとしい量は『平等』と呼ばれる。
> 万人共通の権利とは、各人の権利の上にかがやく万人の与えられた保護に
> ほかならない。
>
> (略)
>
> 平等について相互理解をたてておこう。というのも、自由が頂点なら、
> 平等は土台だからだ。市民諸君、平等とは、あらゆる植物がおなじ
> 高さになることではない。背の高い草と小さなカシワの木の社会と
> いうのではない。たがいに去勢しあう、嫉妬の寄り集まりをいうので
> はない。社会生活の面ではあらゆる才能が同一の機会を与えられる
> ことであり、政治の面ではすべての投票がおなじ重みをもつことであり。
> 宗教の面ではすべての信仰がおなじ権利を与えられることだ。
「人の命は地球より重い」とか、寝ぼけたこと言ってる連中に
聞かせてやりたいよ、ホント。
(60億人分の命の重さは、地球60億個以上かっ?てぇの)
お奨めです。
○
<チョウの勝手な感想>
コゼット。そりゃぁ、母親には会えないし、子供の頃 いじめられっぱ
なしだし、いいことありませんが、長じて美少女。
ほんでもってマリユス。なんか 没頭癖があるハンサム。
この2人が「出会って、恋いに落ちる」・・・あがぁ〜、なんだかなぁ?
バカップルの典型?
それに比べて エポニーヌ(コゼットを預かってた テナルディエ家の長女)。
"あまり美人じゃない"ってだけで、マリユスに見向きもされないって
。。。しかも それでもマリユスのために尽くしてしまうって・・・
非モテなチョウは、ついついエポニーヌに肩入れしてしまって しょうがない。
○
マリユスとコゼットが出会ってからのジャン・バルジャンの葛藤がすさ
まじい。
アダルトビデオや、エロ漫画読み過ぎなチョウは、
「いや。実は、ワシ お前の本当のお父さんじゃなかったんだよ。
ほぅら、お金もあるし」と迫り、マリウスなんか 勝手に死なしといて
・・と なんで やらなかったのか?妄想が止まりません。